兵庫に移り住んで10年目

本日をもちまして、おれが兵庫に住んでから10年目を迎える事ができました。
10年はあっという間としみじみ思いました。
そんな記念すべきメモリアルな日、兵庫に住むまでの思い出を書いていこうと思います。
(写真は移り住んでから10年後の最寄り駅)

初めての関西

13年ほど前、おれが大分に赴任してから間もない頃。
兵庫に住む友人達から7月の3連休に関西でオフ会やろうという誘いが来たのが始まりでした。

初めての新幹線で新神戸に向かい、友人宅に宿泊しながら大阪難波にも行ったりしていました。
当時は阪神なんば線が存在せず、JRからわざわざ難波に向かっていたのが懐かしいのです。

初めての関西に衝撃を覚えたその後、有給休暇を消化して何度も関西に足を運びました。
時には飛行機で向かったり、名古屋から関西に向かうという破天荒もありましたね。
任期満了による退職までに数回は行ったかと思います。

何故ここまで関西に行ったのかというと、大分では不自由な点が多かった訳で。
任期満了に伴う退職までに2回ほど社員寮を引っ越しましたが、いずれも国東市という辺境の地に位置する社員寮だったのです。
大分空港を除けば、生活必需品の店くらいしか存在せず、別府と大分まで向かうには空港リムジンバスが生命線といえる程でした。
つまり、娯楽面で相当苦労していたのです。

対する関西は、様々な娯楽が立ち並び、友人の縁が深まったことから、退職後は兵庫に住むのを決意したのです。
赴任当初からかなり勤務し、家賃や光熱費のほとんどを負担といった寮特有制度のおかげで、何度も旅行に行っても移り住む費用や生活費は十分にありました。


退職を控えた頃に

2011年3月11日、東日本大震災が発生。
この影響で、会社カレンダーが大きく書き換わる事態となりました。

しかし、その2ヶ月後に退職が控えていたことと、約2ヶ月分の有給休暇が残っていたため、準備と休養を兼ねて一気に休みました。
何度か登用試験の誘いもありましたが、もし登用していたら今頃どうなっていたのでしょうか。


そして引っ越しへ

休暇中は新居探し。
寮生活時はそこそこ自重していましたが、引っ越し後は相当収納が増えるのが懸念されるので、その条件に見合った部屋を暖める探すのに苦労しました。
もちろん、毎月支払う家賃にも注意せねばなりません。

紆余曲折を経て、ようやく今の部屋に決定、引っ越しの準備も少しずつ進めていきました。
引っ越しから2週間前にスマホに機種変も兼ねて帰省もしてましたが。

そして2011年5月14日の引っ越し当日。
3年近く住んだ大分に別れを告げます。

伊丹空港から最寄り駅前に到着後、新居に向かうのでしたが、いざ地図を頼りにしようとなかなかたどり着けず遠回りもしてしまいました。
そんな中でようやく新居に到着した時は達成感がありました。

引っ越しの荷物を搬入したのは良かったのですが、家具も電灯も無い状態。
流石に不安だったので、友人の力を借りて家具を揃えていきました。
必要な家具は無事に揃い、ようやく兵庫での新生活が始まったのです。
といっても、その後は住民票があったんですけどね。


その後

いろいろとありました。
この10年間、数え切れないほどの思い出が生まれました。
学生時代とはまた違った、そんな思い出でしたね。

しかし、10年となると風景も事象もだいぶ変わったのは事実。
果たして、この先どんな風に変わっていくのでしょうか。


これからも兵庫の東の人として住んでいきますので、何卒よろしくお願いします。
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