スクフェスACを振り返る(後編)

 
前後編でお送りしているスクフェスAC振り返り、後編はNS時代をたどっていきます。

ACNS前期

2018年12月6日、スクフェスACNS稼働

スクフェスAC稼働から2周年目に、NSが稼働開始されました。
しかし、かの有名な全身タイツバグ発生により、最大24時間以上の大型メンテナンスに突入という前代未聞の事態にまで発展。
稼働初日から大事故を起こしたという、先行き不安な結果となってしまいました。


2018年12月8日、スクフェスACNS初プレイ

大型メンテナンスが終了したのは朝10時を過ぎた頃でした。
その悲劇を払拭するかのごとくプレイしましたが、当時次回作というだけあっていろいろ変わっていて新鮮に感じました。
本格的に参戦したAqoursによって、楽しみの2倍になったのは大きく、この日は梅田と難波を経て遅くまでプレイしていました。

なお、カード印刷中にランキングを閲覧したら電源が落ちて再起動がかかり、印刷していたカード数枚が無に帰ったのもいい思い出です。

当時の記事はコチラ(前編 後編)


2019年2月10日、NSが稼働して初めての果南誕生日

バースデー限定マップ、最低でも3周しなければならずサイコロ運も求められるので、完走難易度はそこそこといったところでしょうか。

この日の打ち上げは相当な疲労感によってgdgdになってしまったことをお詫び申し上げます🙇

当時の記事はコチラ


2019年4月19日、NSが稼働して初めての真姫誕生日

ホームを梅田ラウワンからnamco梅田に移行してから初のプレイ。
当時は梅田唯一の9台店舗、知名度抜群、回転率の速さからの移行でした。

バースデーイベントの方は以前に完走したので、今回はゆったりと取り組むことができました。
さらに、翌日は遠方からフォロワーがやって来たので、そちらでも盛り上がっていましたね😋

当時の記事はコチラ


2019年7月10日、チームYARA*C加入

Aqoursの衣装である『ウォーターエッセンス』の追加により、腋だけでなくあらゆる部位の撮影に力を入れるようになりました。
なので、Ritaさんが加入していることで知られている『チームYARA*C』に加入することになりました。
なお、スクフェスACでネーム変更は二度しか行なっておりません。

そのお知らせが入った記事はコチラ


2019年8月3日~17日、真姫ソロ1000回称号に向けて活動開始

『週1~2のプレイヤーでも、1000回称号は獲得できるのか。』

スクフェスACにおいて一度はやってみたいこと、この日から本格的に開始しました。
最初はなかなか回数を重ねることができなかったのですが、帰省時にフォロワーから1000回取るための心構えを享受し、慣れてきた頃には次第に回数が増えていきました。

当時の記事はコチラ(3日 お盆休み中)


2019年8月25日、夏のアケフェス大運動会

梅田namcoによるスクフェスACイベントが開催されました。
参加者は特別な称号を獲得できます。

参加者数は39人と倍率はそこそこでしたが、無事に当選して一安心。
反面、フォロワーの一人が脱落していましたが。

このイベント、いろんなプレイが目白押しで大いに盛り上がっていましたが肝心の結果は……⁉

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2019年8月31日、真姫ソロEXTREME譜面初の120AP

これまで一度も達成できていなかったので、初の快挙でした。

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2019年10月13日、真姫ソロ1000回達成

9月の梨子とルビィのバースデーイベントに邪魔されつつも、フォロワーが遠征にやって来たこの日に念願の1000回称号を獲得することができました。
基本週2でプレイしていたものの、達成は可能という証明がなされた瞬間でした。

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2019年12月6日、スクフェスAC3周年

3周年目だけあって、おでかけマップがリニューアルされたりでしたが、正直賛否両論な気がしました。
ご当地アイテムが一気に貴重品になってしまうとは😖

この日の翌日はででんねによるオフ会の日、新型コロナウイルス感染拡大以前の最高の盛り上がりとなりました。

当時の記事はコチラ



ACNS後期

2020年2月10日、果南ソロ楽曲追加

この日をどれだけ待ちわびていたことか。
CHALLENGE譜面も楽しい譜面だったので良きで、1000回称号獲得の為に少しずつ進めていましたが、まさかあのような事になろうとは……。

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2020年3月28日、ででんね最後の大阪

3月末を以って、ででんねが北海道に帰ってしまうとのことだったので、大阪滞在最後のお見送りとなりました。
果南ソロのCHALLENGE譜面を初フルコンしたのもこの日でした。

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2020年4月8日、緊急事態宣言発令

新型コロナウイルス感染拡大が猛威を奮い、とうとう長い暗黒時代が到来することに。
生まれて初めて直面するこの事態に、ただただ恐怖しか感じませんでした。

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2020年5月23日、緊急事態宣言解除後初のACプレイ

22日の宣言解除後の翌日に、梅田namcoが一部制限付きで営業再開したので、これまでの鬱憤を晴らすかのごとくプレイ。
ここから1000回に向けて本気を出し始めました。

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2020年6月6日、果南エールランクカンスト

NS稼働から実に1年半後にカンスト達成と遅かったです。
しかも1000回称号進行中に達成しています。

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2020年8月12日、果南ソロ楽曲1000回達成

スクフェスACデビュー3年目、故郷の鹿児島で達成することができました。
1000回称号が判明後に、鹿児島で達成したいと前から思っていただけあって感無量です。

当時の記事はコチラ


2020年8月後半~、スクフェスAC暗黒時代突入

1000回称号達成寸前にその他音楽ゲームに没頭していたのか、スクフェスACに関していろいろと疑問を持ち始めるように。
NS稼働からの様々な問題点や賛否両論点を整理した末に、思い悩むようになってきました。


2020年10月30日、スクフェスAC最終アップデート

最終アップデートにもかかわらず、実に5ヶ月にも及ぶイベントで盛り上げてくれました。


2021年3月27日、コッコマン大阪遠征

この日は東京からお越しのコッコマンが、大阪と京都にスクフェスAC設置店舗行脚を行なっていました。
行脚していくコッコマンを見て、自分の中でやるべきことが再燃し、見事復活を果たしたかに思えましたが……。

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2021年4月25日、緊急事態宣言発令3回目

2回目は影響が全くなかった反動なのか、3回目は『土日祝日はゲーセンが休業』という重大な自粛を余儀なくされました。
モチベが復活した時にこの状況、とんでもなくタイミングが悪かったとしか言いようがなかったです。
さらに、3月初旬にNintendo Switch™を購入していた(=フィットネスという名の筋トレを本格的に始めた)のも向かい風でした。

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2021年6月30日、スクフェスAC稼働終了のお知らせ

とうとうこの時期がやって来てしまいました。
何事にも終わりがあると思うと本当に惜しすぎたお知らせでした。
残り3ヶ月のうちに何ができるか、それはスクフェスACの取り柄である印刷媒体を残すということ。

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2021年9月25日、スクフェスAC最終プレイ

生誕35周年を迎えた翌日に、これまた久しぶりにスクフェスACに赴く。
印刷媒体を残すために向かった、最後の戦い。

当時の記事はコチラ


後編のまとめ

NS稼働後はさらなる進化に期待していたところでしたが、なかなか思うように奮えなかった節がたびたび見受けられました。
以前の記事にも書いた通り、プロカ勢がかなり追いやられているのも原因の一つと言えます。
こういったシステムの迷走によって、余計物足りなさを感じたプレイヤーも少なくなさそうです。

それでも、自分の掲げる大きな目標を二度も達成したのは大きかったですね。

稼働後期になると、イベント開催がワンパターンになったり、新型コロナウイルスが猛威を奮い、思うように進めないことも多々ありました。
特に前者は致命的で、最近情報の追加が滞っていたのもこれが理由です。

もし、新型コロナウイルスが蔓延していなかったら、イベント及び稼働時期はさらに長く続いていたと思うだけあって、実に残念です。

それでも、数々の困難に負けずに頑張ってきたプレイヤーは素晴らしかったですね。
稼働終了間際も、大いに賑わっている店舗も見受けられましたし、センター筐体がフル稼働している店舗も存在していました。
やっぱり、スクフェスACというゲームは素晴らしいと改めて思いました。


総まとめ

スクフェスAC無印は間違いなく良作でした。

特にゲーム内イベントの進行条件が豊富で飽きさせない工夫が施されており、スクフェスとの印刷連動及び譜面プレイが行なえるイベントも神がかっていました。
さらに、プロカ撮影の幅が意外と広く、プロカを通じて多くのプレイヤーとの交流を可能とした実績は大きかったのもこれまた事実です。
印刷というシステムをここまでフル活用したゲームは他にはないでしょう。

楽曲に関しても、基本的に月1で追加が多かったですが、稼働開始から1周年後は数曲追加及びダンスシーンが完全新規の楽曲が追加され、とてつもなく勢いが増しているように思えました。
この完全新規ダンスシーン楽曲は後にスクスタにも流用されているので、まさに礎といっても過言ではないでしょう。

それ以外でも、数々のシステムおよびやりこみ要素が追加され、NSロケテの時期も勢いは衰えていませんでした。
NS稼働日が決定し、名残惜しいと思った人も多かったのも、無印が良作という事実を裏付けています。


一方でスクフェスACNSは賛否両論が目立っているようでした。

稼働当初から重大なバグの発生から始まり、システム面で進化しているように見えますが劣化している箇所も存在するという点がそうですね。
特に過去の記事にも書いた通り、プロカ勢が追いやられるようなシステム変更は、印刷及びプロカ作成がメインでもあるこのゲームの迷走ともいえるのではないかと思います。

ゲーム内イベントに関しても、プレイ後のミニゲームであるおでかけスクールアイドルというすごろくゲーに一本化した関係で、進行そのものがワンパターンとなったり、協力プレイが場合によっては却ってデメリットになってしまうという本末転倒な点も出ていました。
確かに新規プレイヤーにとって協力プレイはメリットにはなりましたが、熟練者同士でやると1人の方が回転率が速くなるという逆転現象となりました。

稼働後期には、楽曲追加+衣装追加+スタンプカードというワンパターンなアップデートが頻繁に行なわれました。
先述のおでかけと相まって、ワンパターン化が極まったのは否めなかったです。

ちなみに、Aqoursモードのメンバー使用数ですが、果南がダントツなのを除くと3年生が2桁、それ以外が1桁というあまりに衝撃的なデータが算出されています。
花丸推しには大変申し訳ないのですが、花丸に至っては一度も使用していないことにも驚きでした。

ここまで極端な使用回数になったのは、やはりメンバーのスキルレベルが不十分過ぎ故に使用するのを躊躇っていたという点ですね。
プロカ作成において、他メンバーは使用スキルをMAXにしてから撮影したいというスタイルでしたが、おでかけやスキルカード販売をもってしてもMAXまで上げることができなかったのです。
この辺に関しては、スクフェスACにおいての反省しきれない反省ポイントですね。

楽曲に関しても、結局全曲全譜面(特別除く)をプレイせずに終わりました。
理由としては、果南ソロ1000回称号に尽力していたこと、帰省中のプレイから思い悩みを感じていてスクフェスACから遠ざかってしまったこと、緊急事態宣言によるモチベーションの低下。この3点ですね。
特にAqoursソロ楽曲はダイヤと果南以降、3月以降の新曲も一切プレイしていません。

さらに、Saint Snowモードも未プレイでした。
これに関しては、無印のAqours先行体験版と同じ位置づけに思えたこと、衣装やスキルの少なさに撮影の食指が動かなかったのが原因ですね。

それでも、最終アップデートのイベント及びショップの品揃えの大量追加は、これまでの集大成を示したともいえますし、新型コロナウイルスの真っ只中にもかかわらず最後の健闘をしていたといえます。


総じてスクフェスACNSは、


『いろいろ挑戦していて進化を感じるけれど、あと一歩欲しかった。アンケート内容もしっかり反映していれば無印以上の良作になれたと思う』


という評価でした。

無印含めて、まだまだ書き足りない感はありますけどね。



最終プレイデータ、まずはμ'sから。
無印からデータを引き継いでいるので、CHALLENGEのプレイ回数がダントツで多いですが、後期は1000回称号や撮影研究ついでに低難度もプレイ回数が増えています。
反面、特別譜面はプレイしていて疲れる、通常譜面とは別曲扱いという感想故にほとんどプレイしていません。

次にAqours。
μ'sとは異なり、HARDEXTREMEのプレイ回数が2桁という前代未聞の事態に。
メンバー使用回数も壊滅的ですが、理由は上述とおり。
3人協力プレイ回数も少ないですね。

最後のごあいさつ

いろいろ書き連ねていきましたが、スクフェスACは2作品とも素晴らしいゲームであることに変わりはありません。
自身を音楽ゲームの世界に引き戻し、音楽ゲーム史上最大のやり込み要素を提供しててくれたという、最大の功績がそれを物語っています。
無印初プレイからの実力アップ、プロカの印刷、1000回称号への挑戦、そして皆様との交流。その全てが最高の思い出です。

しかしながら、これを築いた時代も4年10ヶ月という歳月をもって終わりを迎えます。
センター筐体による印刷も終わりを迎えます。

思えばこの日が来るのはあっという間でした。
無印稼働から、もうそこまで経ったんだなと改めて実感しました。
無印ロケテ、当時はどのくらい参加していたのかは知る由もないですが、NSロケテははっきりと覚えています。

スクフェスACが無くなる今、皆様はこれからどの人生を歩んでいくかも定かではないですが、スクフェスACで培った実力及び印刷媒体はいつまでも残り続けていると信じています。
印刷という文化を栄えたゲームでもありますから。

自身もいろいろとあった今、スクフェスACに出会えて本当によかったです。
生活に彩りを与えてくれて、同じ仲間も増え、活躍の場ができた。
これほど嬉しいことはないでしょう。


最後になりましたが、自身はこれからもいろいろな趣味で活躍していきます。
スクフェスACが無くなってしまっても、やるべきことはまだまだたくさん残っています。

拙い文章になってしまいましたが、これにてスクフェスACの振り返りは終わりとさせていただきます。


スクフェスACが稼働した4年と10ヶ月。

自身と交流してくださったプレイヤーの皆様。

自身のプロカを受け取ってくださったプレイヤーの皆様。

そして、スクフェスACの運営陣。














最高の思い出をありがとうございました‼


Fin.

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